【呪術廻戦27話28話感想】虎杖、真人ついに激突・・!
こんばんは。ななまるです。
先週は投稿お休みしてしまいましたので
27話28話分まとめて感想ですよろしくお願いします。
27話のタイトルは「もしも」
順平が高専に入学したら。。の「もしも」ですね。
タイトルと扉絵でお察しさせるこの構成
順平の死を使って読者の意表をつくことはしないぞという芥見先生のキャラクターへの思いやりが感じられます。(最大好意的解釈オブ順平の死)
「幼魚と逆罰」というサブタイトルが「母親の死」で一区切りして翌週からナンバリングタイトルではなくなっていたため
順平の生存にもある程度期待を持っていたのはたしかです。
「不平等な現実のみが平等に与えられている」
「凄惨な現場を見ることが多い」「正しい死ばかりではない」
呪術界のこういった世界観がしっかり体現された話でした。
しかし「正しい死」にこだわる虎杖は少なくとも目の前の生きている人間に関しては
救うことができていました。ときに自分の身を呈し、彼は人を救ってきました。
そんな「自己を顧みない性格」が前回の特級との戦闘を通じて敵サイドに把握されていたため、順平は人質とされることなくあっさり殺されてしまったと考えると胸が苦しいです。
目の前で順平を殺されてしまった虎杖は自らに課していた「殺す選択肢はとらない」という矜持を捨てて「ブッ殺してやる」と
「ブッ殺してやる」っていいですよね。
「ブッ殺す」ではなく「ブッ殺してやる」
「~てやる」って面白いですよね。
基本、相手に対する爆発しそうな感情をはらんだ動詞にしかくっつけられない語尾ですよね。
「しんでやる」「ぼこぼこにしてやる」「ここで漏らしてやる(おい)」等々
「一生愛してやる」とか前向きな用法もありますね
「ああ抑えきれない!この行動をもっておまえを困らせるぞ!!」ってひしひしと伝わってくる言い回し。それが、てやる。
そして呪術廻戦では間違いなく「呪ってやる」から引用してると思うんですよね。
呪術高専で乙骨も発してた「ブッ殺してやる」それをリフレインしているわけですから、なにか呪術師の決め台詞みを感じます。
28話タイトルが「殺してやる」なのもまたいい。
「代わんねぇよ。言ったよな。ブッ殺してやるって。」
目的は「殺す」じゃなくて「殺してやる」なんですよ。
ああ、呪いのマンガを読んでるんだなってゾクゾクする好きな言い回しです。
28話では熱いバトルが繰り広げられましたが、
ここでナナミン登場です。
「大人と子ども」というテーマもおいている今章で
唯一あらわれた「大人」のナナミンは彼らにどういう教えを説くのでしょうか。
呪霊側の目標「呪術師一掃」を達成するために
・虎杖を仲間にする
・五条悟を戦闘不能にする
この二つが必須条件である現状、
「虎杖を仲間にできないやつらが五条悟戦闘不能にするのとか無理じゃない?」
ってなってしまうので
敵側になんらかの収穫があることはほぼ間違いないと思うのですが、、どうなるやら
気になること箇条書きコーナー
・「無為転変」が術式であるのなら、より濃い領域展開で中和すればダメージは通るのでしょうか。真人が領域展開を会得していない今なら勝ち目は十分にありそう。
・宿難の「おれの魂に触れるか」発言。真人は「この世で魂の構造を理解している人間」と自負していましたが、「魂に触れる」という用法を使えるということは宿難もまた魂は触れられるものだと理解しているのでしょうか。
術式は遺伝し得るもの(全員違う術式を持つわけではない)だと2巻で説明されてましたので「無為転変」も宿難が生きていた時代に存在していたものかもしれません。
・「人を恐れる感情から生まれた呪霊」「真人は生まれたて」という事実をみると過去同等の呪霊がいたと考えるほうがいっそ自然かもしれない。
・より洗練された殺すための形、インスピレーションが「ドリル」「棍棒」「手裏剣」な真人ってほんまに子どもよな
・契闊について虎杖が忘れていると宿難が判断していたのは「まだ虎杖が優位だと思っている上で自己犠牲をしてきたから」ですかね。「忘れている」ことにとても喜んでいたのが不気味です。現状とくにメリットが見当たらないので。宿難にとって虎杖は未知数なので警戒されないことが大事なのかもしれないですね(まじわからない)
今週はこの辺で。