【呪術廻戦31話感想】虎杖修行篇終幕――
こんばんは。ななまるです。
呪術廻戦31話「また明日」
19話「幼魚と逆罰」からはじまった虎杖の戦いが一旦幕を閉じました。
今回はエピローグです。
・サブタイトル「また明日」と吉野順平について。
今章では「魂」の存在が多分にかかわってきてます。
それは戦闘面だけでなく、魂のありよう、つまり心のありようとしてドラマ面にも大きく作用しています。
今回、真人が「虎杖を殺したい」と漏らしていましたが、
宿難を目的としているため「身体」を殺すわけにはいかない。
そこで「魂」つまり「心」を再び殺すことを決意しました。
「魂」を知覚している真人だからこそ、
「吉野順平の死」をもって虎杖の魂が死んだことを理解していたと。
真人は「身体の死」と「心の死」を同格に見ているのでしょう。
しかし人間は「魂」を知覚していないので、
「心の死」というものにとても疎い。
伊藤は「転校しただけ」と償う意志を見せず
先生は、身体の傷を見るまでいじめに気づけなかった。
そして女子生徒は吉野が転校してからいじめを報告しました。
「また明日」がなくなってから。
そして「心の死」においては
加害者にも被害者にも傍観者にも「また明日」があること。
それは希望であり絶望です。
ただ、先生は今回「身体の傷」を見て「心の死」に理解を示そうとしました。
「また明日」がない、いじめっこ3人を憂い
「また明日」がある吉野の心をさらに殺していた先生が
「心の死」に向き合った瞬間でした。
・虎杖は成長したのか
虎杖に関してです。
七海に今回「呪術師」として認められた虎杖ですが、
七海が虎杖に課した条件は
「宿難という爆弾を抱えていても己は有用であると示す」ことでした。
今回の戦闘で虎杖は七海の見えていないところで宿難と不利な条件で代わろうとします。吉野を救うためです。
それを断られたことで虎杖は「呪い」との線引きをより明確なものにし、
「呪い」を出すことなく(個人的な矜持もありましたが)真人を倒そうとします。
しかし、最終的に七海を救ったのは「呪い」で
真人を自分の手で倒すことはかないません。
虎杖は「宿難に頼らない決心」と「宿難がいなければ人を救えなかった事実」のあいだで揺れ動いていますが、
誰かに必要とされた時点で「呪術師」なのだと七海は言います。
もっとも七海は、
結果宿難に身体を奪われなかったことや、領域に侵入してきたこと、共闘の際のコンビネーションもろもろ虎杖自身の素質や判断も買っていると思いますが。
虎杖は、吉野の死によって魂を殺され「殺す」という選択肢をとるようになり、人を殺してしまったことにより「正しい死」を見失ってしまいました。
そして「真人を殺す」ことでかつての矜持を再確認しようと決意します。
「悪人に悪人たる死をもたらす」ことは「正しい死」なのか、自身の手で確かめようということでしょうか。ここの解釈は非常に難しいです。
前の少年院のくだりですが、もし正くんが虎杖の目の前で少女をひき殺していたとしたらどうしていたでしょうか。彼は「悪人たる死をうけるべき」なのでしょうか。
あの日1人その死に抗っていた虎杖は、今同じ状況に立ったらどうするでしょう。
個人的には、最後の悠仁の表情が不安でたまりません・・・
今後その葛藤と本当の成長が描かれるのがたのしみです。
(呪術師としては成長しているのかもしれません)
箇条書きコーナー
・真人の身代わり生成の仕組みがよくわかりません。今回は大きいからだの一部(破裂した破片の一枚)が本体だったということでしょうか。それとも大きいからだは身代わりで別に本体があった? 七海が気づいたタイミングをみると後者っぽいですが、、どうなのでしょう。
・魂の格と呪力の総量は別物なのですね。真人は宿難に領域バトルでやられましたが、より領域展開バトルの勝敗基準である「より洗練されている領域」というのは呪力量とはべつのところにあるようです。
・真人の目的は「仲間に引き込む」というよりは純粋に「宿難復活による呪いの時代再来」のようです。意外と全体主義というか自分はどうなってもいいのかな・・?漏瑚さんが熱く語ってた内容はみんなの目的だったんですね。それとも自分は「人間に対する負の感情」により何度でも復活できると踏んでいるのか。
・安置所にならんでいるのは悠仁が殺した3人と順平かな・・?真人が倒されなかったので術式はそのままか・・すごくビターな結末です
いろいろと考えることが多い週でまとまりきってないところもありますが、
今週はこの辺で。
それでは。